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ほねっこアニメ部屋

俺たちは腐っているんじゃない、発酵しているんだ

09-15

2012

光ったり、陰ったり

某巨大掲示板にて、設定の甘さゆえの作画ミス、についてのカキコミを見かけました。

・右手で箸を持っていたのに、左手で物を投げる
・日本なのに左ハンドル(アメリカなのに右ハンドル)
・視点が変わると人や物が消えている

殆ど気がつかない部分だけど、言われてみれば確かにそういう場面があった様な・・・

アニメを見ていて時折違和感やしょぼさを覚えることがあるんだけど、
こういう細かい部分を疎かにしているからなのかもね。。

んで、このカキコミで細かい部分への意識を植えつけられた後にTARITARIを見て、
「そういやPAのアニメって日光の使い方上手いかも・・・」
と思ったので、そのことについてちょっと書きます


P.A Worksの日光の描き方で、どういうシーンがあったのか一から見返して検証するのは面倒くさいんだけど、
林の木漏れ日、窓から入る日光、などとてもリアルで綺麗だったと思います
僕の思い込みかもしれませんが、その場所や場面の雰囲気を表現したり、キャラクターの心理描写の際に効果的に使われていたような

さて、今期放映中のPAのオリジナルアニメ、TARITARI

キャラクターの魅力が、演出・脚本・作画・美術など様々な角度から引き出されていて
今期の生きがいになっているほどハマっています!

あと、存在を省略(または消去)されがちな、親や先生といった等身大の大人たちが
主人公たちを教え導く立場としてストーリーに絡んでくるところがとてもイイですね!


そんなTARITARIで日光の描写についてちょっと見てみます

TARITARI10.jpg
↑放課後の西日が美しいです
教頭から母の事を聞いた後の、和奏の微妙な感情が伝わってきます


TARI8.jpg
↑ウィーンの家にやってきた5人。木漏れ日が各キャラクターに映っています
しかも、キャラクターが動くと木漏れ日も一緒に動くという徹底ぶり



京アニ制作の「氷菓」においても、日光を用いた印象的な演出がありました

第11話、奉太郎が入須先輩に、「技術のある人間」「誰もが自分を自覚すべきだ」と奉太郎を評した言葉の真意を問いただすシーン
その真意が入須先輩の口から語られる直前に数秒の間があり、明り取りから光が差し込みます

1ae0a0c3.jpg
↑光が射す入須先輩と陰ったままの奉太郎

今の両者の立場を暗喩してますし、この後語られる内容を暗示しています
4話にわたる「愚者のエンドロール」のクライマックスシーンを盛り上げる手助けになっていますね


日光の効果を入れるにあたって、
事前に建物の大きさや方角もちゃんと決めてるのかな?
ロケハンで既にそういう情報を収集してんのかな?

明度の調整にリアルな太陽光線を用いるってのは
洗練された作品には欠かせない要素ですよね


今回は、普段気にも留めない部分をクローズアップしましたが
こういう小さな積み重ねこそが、傑作に必要なこと
細かいところにも気を配りながらアニメを見ていきたいですねー
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